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- 七日町(近世~近代)とは
「七日町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 七日町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治22年まで角館【かくのだて】を冠称旧4月8日の前日に市が立ったことから七日町と名づけられた(角館誌)享保期は家数38軒の町人町(享保郡邑記...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7260379]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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七日町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治初年から明治22年までは若松を冠称「なぬかまち」ともいう江戸期は若松城下郭外北部のうち明治初年若松,同22年若松町,同32年若松市,昭和30年からは会津若松市の現行町名下町に属し,北小路町の北に並ぶ長7町16間・幅4間町名は月々7日に市を開いたことによる(文化4年風俗帳/県史24)越後・出羽両国に通じる街道に沿っているため旅籠屋が多い化政期の家数149軒,ほかに小黒川分の七日町四谷に20軒(新編会津)「新編会津」には七日町四谷が「即小黒川分の地なり」とある寺院は天台宗常光寺・真言宗吉祥院・浄土宗阿弥陀寺など明治13年の戸数256・人口1,287(県治統計表)昭和42年中大和町・後ノ分町および桂林寺町・下大和町・北小路町・道場小路町・紺屋町・原ノ町・町北町大字石堂・同藤室・神指町大字黒川の各一部を編入同年一部が現行の西七日町・大町1~2丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」